2010年10月26日火曜日

共生

丸谷先生のメルマガから

■梅原猛(哲学者)「ともいきがたり」

私は昭和12年に、名古屋の東海中学に入学しました。当時名誉校長だった椎尾辨匡先生は、「共生」とい

う、現代における重要な思想の最初の提唱者であり、先生の講演で「共生(ともいき)の思想」を感激して聞

いたことが、今の私につながっています。

・「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」の思想

 「共生の思想」は、法然が最も尊敬した中国の僧・善導の「諸々の衆生と共に極楽浄土に往生しよう」とい

う思想によりますが、椎尾先生は、あの世に共に行くばかりではなく、この世においても人々は共生しよう、

人間だけではなく植物も動物も共生しようという思想を持っていました。「ともいきの くさ木虫鳥なごみし

て いかにめぐみとみほとけはのる」「人息も くさ木の息と共なれば この身さながらあめつちひろし」と

いう椎尾先生の歌に表れているのは天台本覚思想であり、「草木国土悉皆成仏」という言葉に端的に表現され

ます。
 
このような思想はインド仏教にはなく、インドで衆生とは人間と動物だけです。草木、国土、自然現象もすべ

て仏性を持ち成仏できると考える天台本覚思想は、天台宗と真言宗が合体して生まれたもので、鎌倉仏教共通

の前提思想となり、日本仏教の主流となります。これは仏教が入ってくる以前の日本の伝統思想と混ざりあっ

てつくられたものと、私は考えています。

・「白楽天」に見る日本文化論

 このような思想が一番はっきり表現されているのが実は「能」です。世阿弥や禅竹の能の中にしばしばこの

言葉のまま表現されていますし、天台本覚思想によって能の思想がつくられているといえます。
 
たとえば、「白楽天」という能。これは中国から日本の様子を探りにきた白楽天と、それを迎えた住吉明神の

間で論戦が展開されます。白楽天が中国の詩を自慢すると、住吉明神はすぐにその詩を和歌に読み換えて和歌

の素晴らしさを語る。そしてさらに、人間ばかりか鶯や蛙も歌を詠み、雨の音も風の音も和歌である。天地自

然が和歌を詠むんだということを白楽天に言う。白楽天はびっくりして逃げ帰ったという話です。私はこれは

日本文化論として最も優れたものではないかと思います。

・縄文文化の伝統と西洋の文化
 
 世界で一番発達した狩猟文化すなわち縄文文化の伝統が、仏教と結びついて、そういう思想が生まれたと私

は考えています。かつて岡本太郎が素晴らしい芸術と呼んだ縄文土器を見ると、狩猟採集文化が日本において

特別に発展したことは否定できません。当時宝物とされたものにヒスイの勾玉(まがたま)があります。ヒス

イは植物の霊であり、勾玉は動物の霊だといえ、ヒスイの勾玉には潜在的に「草木国土悉皆成仏」の思想が込

められていたといえます。

 これに対し西洋の伝統はまったく違います。近代の科学技術文明に思想的根拠を与えたのが、「われ思う、

ゆえにわれあり」のデカルト。主体として肉体のない理性的自我を立て、それに対立するものとして、数学的

法則によって解明される無機的な自然をおきました。これが人間による自然支配を全面的に肯定する哲学とな

りました。


 この思想が十七世紀に作られて、十八世紀の産業革命以降、西洋諸国は大変豊かでそして強い武力を持ち、

世界を征服しました。そのことはひととき人類に豊かで便利な生活をもたらしましたが、反面そのような思想

は自然環境の破壊を伴ったのではないか。十八世紀以降、どれだけの動物が絶滅し、生物多様性が失われてき

たか。

 今や人類は、農業革命とともに起こった人間中心主義を捨てて、原初的、根源的というべき狩猟採集文化の

原理に戻らねばならないと思います。その意味で、「草木国土悉皆成仏」に表現される日本の伝統思想は、将

来の人類の哲学としてはなはだ重要な意味を持つと思います。

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