2009年12月22日火曜日

吉田松陰



私は今、国の為に死ぬ。
死すとも、藩主への忠義、父母への孝行を
尽くして、道に反することはない。
天地は永遠で果てしなく広い。
神様よ、私の行いの正しいことをご覧下さい。


司馬遼太郎「世に棲む日日」を読んでいると1巻

と2巻の途中までは吉田松陰の話です。

幕末の志士達の先生のイメージで、堅い学者かと

思いきや、それだけではなく大胆そして豪快な一面を持つ

人間味あふれる人物です。(あまり知らなかった)

安政6年(1859年)5月25日早朝、
松陰は野山獄から護送用の籠に入れられ江戸に向かうこととなった。
松陰が江戸に送られた理由は、安政の大獄で獄死した梅田雲浜
(小浜藩士・京で活躍した尊皇攘夷の志士。安政の大獄で逮捕者第一号となった人物)
が萩で松陰に会った事を話したためだった。



国のためを想い、評定所で自らの考えをとうとうと述べ

理解してもらえるのではないかとの感触に、つい自らの老中暗殺計画を

誰も知らないのに告白し、死刑を宣告される。

とにかく人を無条件で信用するという性格が様々なところで

良きも悪しきも運命を変えてしまう。

そして、その堂々とし潔い死に様は、首を切った役人により

後世まで語り継がれる。松陰享年30歳。

しかしその思想は、勤皇の志士達に受け継がれ

ついに大政奉還を実現する。

藩のため国のために自らの命を捧げることを、宿命付けられた

生い立ち。そしてそのままを人生観として持ち続け

ついにその通りの死を迎える。

時代とはいえ、早すぎる死。

時代の変革期にはいつも若い命が奪われる。

まるでその後の平安と引き換えるように。

命をかけて国を憂い、自らの命を捧げた若者たちに

私たちは恥じない生き方をしなければならない。

命を取られることはないのだから。

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