2010年9月8日水曜日

【残っていた留守番メッセージ】

てっぺん大島啓介氏の夢エールよりの転載です。

いつも仕事中不覚にも涙する話しが多いのです。




私が結婚を母に報告した時、ありったけの祝福の言葉を言い終わった母は、私の手を握りまっすぐ目をみつめてこう言った。


「私にとって、濡は本当の娘だからね」


ドキリとした。


母と私の血がつながっていないことは、父が再婚してからの18年間、互いに触れていなかった。


再婚当時幼かった私にとって「母」の記憶は「今の母」だけで、『義理』という意識は私にはなかった。


けれど、やはり戸籍上私は「養子」で、母にとって私は父と前妻の子なので、母が私のことをどう考えているのか、わからなかった。


気になってはいてもそのことを口に出した途端、互いがそれを意識してちぐはぐな関係になってしまいそうで、聞き出す勇気は私にはなかった。


だから、母の突然でまっすぐな言葉に私は驚き、すぐに何かをいう事ができなかったのだ。


母は私の返事を待たずに「今日の晩御飯、張り切らなくちゃだめね」と言い台所に向かった。


私はその後姿を見て、自分がタイミングを逃したことに気がついた。


そして、

「私もだよ、お母さん」

すぐそう言えば良かったと後悔した。


結婚式当日、母はいつも通りの母だった。

対する私は、言いそびれた言葉をいつ言うべきかを考えていて、少しよそよそしかった。


式は順調に進み、ボロボロ泣いている父の横にいる、母のスピーチとなった。


母は何かを準備していたらしく、

司会者の人にマイクを通さず何かを喋り、マイクを通して「お願いします」と言った。


すると母は喋っていないのに、会場のスピーカーから誰かの声が聞こえた。


「もしもし、お母さん。看護婦さんがテレホンカードでしてくれたの。

お母さんに会いたい。

お母さんどこ?澪を迎えに来て。澪ね、今日お母さんが来ると思って折り紙をね…」


そこで声はピーっという音に遮られた。


「以上の録音を消去する場合は9を…」


と式場に響く中、私の頭の中に昔の記憶が流水のごとくなだれ込んできた。


車にはねられ、軽く頭を縫った小学校2年生の私。

病院に数週間入院することになり、母に会えなくて、夜も怖くて泣いていた私。


看護婦さんに駄々をこねて、病院内の公衆電話から自宅に電話してもらった私。


この電話の後、面会時間ギリギリ頃に母が息を切らして会いに来てくれた。


シーンと静まりかえる式場で、母は私が結婚報告したのを聞いた時と同じ表情で、まっすぐ前を見つめながら話し始めた。


「私が夫と結婚を決めたとき、

互いの両親から大反対されました。

すでに夫には2歳の娘がいたからです。

それでも私たちは結婚をしました。

娘が7歳になり、私はこのままこの子の母としてやっていける、そう確信し自信をつけた時、油断が生まれてしまいました。

私の不注意で娘は事故にあい、入院することになってしまったのです。」


あの事故は、母と一緒にいるときに私が勝手に道路に飛び出しただけで、決して母のせいではなかった。


「私は自分を責めました。

そしてこんな母親失格の私が、娘のそぼにいてはいけないと思うようになり、娘の病院に段々足を運ばなくなっていったのです。

今思えば、逆の行動をとるべきですよね。」


そこで母は少し笑い、目を下におとして続けた。


「そんなとき、パートから帰った私を待っていたのは、娘からのこの留守番電話のメッセージでした。

私は

『もしもし、お母さん』

このフレーズを何度もリピートして聞きました。

その言葉は、母親として側にいても良い、

娘がそう言ってくれているような気がしたのです。」


初めて見る母の泣き顔は、ぼやけてはっきりと見えなかった。


「ありがとう、濡」


隣にいる父は、少しぽかんとしながらも、泣きながら母を見ていた。

きっと、母がそんなことを考えているなんて知らなかったのだろう。


私も知らなかった。


司会者が私にマイクを回した。


事故は母が悪いわけじゃないことなど、

言いたいことはたくさんあったけれど、

泣き声で苦しい私は、

言いそびれた一番大事な言葉だけを伝えた。


「私もだよ、お母さん。ありがとう」

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