基準地価が発表されました。 全国的に下落傾向は変わりません。
震災後の発表とあって注目されていました。
福岡の住宅地に関しては概ね0%~▲3%という 感じでした。
一部博多駅周辺のみの上昇は新幹線開通の影響のようです。
地価の基準も3種類ありややこしい限りです。
公示価格(基準地価) 国土交通省
路線価 財務省
固定資産評価額 地方自治体
公示価格が最も実勢価格に近く、路線価は主に相続税や贈与税の際に使い、
2~3割低く評価されています。
更に固定資産税のための評価では更に路線価より2~3割低いようです。
では基準地価が実際の売買価格とどう違うのか?
実際の売買価格は、売り手、買い手の諸条件により価格が変動するため
基準とはなりえず、あくまでも売買事例でしかありません。
その為、様々なデータをもとに割り出した基準地価があるのです。
折角国交省が、時間とお金を使い割り出した基準です。
これを元にマイナス20%が路線価、更にマイナス20%が
固定資産評価とすれば、財務省や自治体も人員・予算を減らせると思う。
2011年9月21日水曜日
2011年8月31日水曜日
本
前回の続きですが、
まず章の構成、いくつの章で何ページくらいにするかです。
それから章サマリー、章を細分化した節そして節サマリー
更に細分化した小見出しを考えなければいけません。
これを決めていく作業が一番大変な作業でした。
これさえあれば、書く内容は決まるので小見出しに沿って後は書き進むだけです。
この目次構成さえ出来てしまえば後は、自分の引き出しから引っ張り出す作業だけです。
そして意外と大変なのが、イラストや写真選びでした。
文章に沿ったイラストや写真を選ぶのは意外と骨の折れる作業です。
そして最後に校正です。
何度見ても気になるところがあり、再校、再再校でフィニッシュ。
後は野となれ山となれの心境です。
こんな感じで約半年間、編集者とのやり取りをしながら
試行錯誤してきた感じです。
初めてなので解らないことが多かったのですが、一度経験すると
2冊目からは割とスムースにいけるような気もします。
1冊書くと2冊、3冊と出される方が多いのも、要領が解かって
くるからだと思います。
日常の業務をこなしながらの執筆になるので、時間の調整が必要ですが
やれば何とかなるものです。
是非皆さんも一度挑戦してみてください。
2011年8月23日火曜日
いよいよ発売
「家族が幸せを実感できる家づくり」中経出版
が一番早くはAmazonで明日から買えるはずです。
第一刷発行 2011年8月28日と本ではなっているのに。
本を書こうと決めたのは2年前位でした。
住宅業界でも本を出版している方は沢山いますが、
そのほとんどが会社の宣伝本のように感じてしまいます。
当然かもしれませんが、それであれば全国発売の意味は
あまりなく、かと言って漠然とした家づくりを書いても
内容がぼやけてしまいそうで行き詰まっていました。
以前一緒に出版を模索していた方が一足先に出版し
それが中経出版でした。
その縁で、相談会に参加し社長にお会いしたところ
「余り先に考えずに、書きたいことを書いては」との
助言により楽になり、すぐに出版を決めました。
決めたものの、初めてのことで何もわからず最初の
一か月は企画書とコンセプトを書いたくらいでした。
それから出版社の指示により、目次構成を考えねばならず
ここで、目標の日程よりかなりの時間がかかりましたが何とか出来ました。
おっと稽古の時間です。
次回に続く
が一番早くはAmazonで明日から買えるはずです。
第一刷発行 2011年8月28日と本ではなっているのに。
本を書こうと決めたのは2年前位でした。
住宅業界でも本を出版している方は沢山いますが、
そのほとんどが会社の宣伝本のように感じてしまいます。
当然かもしれませんが、それであれば全国発売の意味は
あまりなく、かと言って漠然とした家づくりを書いても
内容がぼやけてしまいそうで行き詰まっていました。
以前一緒に出版を模索していた方が一足先に出版し
それが中経出版でした。
その縁で、相談会に参加し社長にお会いしたところ
「余り先に考えずに、書きたいことを書いては」との
助言により楽になり、すぐに出版を決めました。
決めたものの、初めてのことで何もわからず最初の
一か月は企画書とコンセプトを書いたくらいでした。
それから出版社の指示により、目次構成を考えねばならず
ここで、目標の日程よりかなりの時間がかかりましたが何とか出来ました。
おっと稽古の時間です。
次回に続く
2011年7月29日金曜日
アップル
2011年7月2日土曜日
被災地




今週、日曜日より東北三陸地方に行ってきました。
仙台でボランティアセンター長とお話して、
東松島市、石巻市、南三陸町、気仙沼、陸前高田
とまわりました。
どこも大変な状況ですが、南三陸町と陸前高田は
町一つがきれいに跡形もなく消失した感じでした。
そこにポツンとたたずみ、ただ茫然と眺めることしかできません。
何が自分に出来るのか?
きっとここでは何もできません。
陸前高田では事前にアポイントを取り地元の方の
お話を聴かせていただき、案内していただきました。
地震から津波発生の状況や具体的な避難状況はとても
筆舌に尽くしがたいものがありました。
目の当たりにした現実が受け入れられないというか
理解の範囲を超えておりピンとこない感じです。
写真の4階建ての病院は、屋上にヘリコプターが来て
救助していた映像がTVで映っていたと思います。
屋上ギリギリまで津波が来たとのことでした。
ただただ見て、聞いて、どうすることもできず、また
何をしていいのかも解らなくなりました。
陸前高田で言われてた言葉が耳に残っただけでした。
「支援は足りているんです・・・・・。」
2011年6月14日火曜日
日本の首相
首相がこれほど軽い扱いの国も珍しいだろう。
決めるのも、辞めるのも早いものである。
国民は政権交代を夢見て、実現したがなんと・・
その政党の存続の目的が政権交代にあった。
ということはそれから先のビジョンは、ほぼ無かったのである。
すべてのマニュフェストは政権交代するための材料でしかなかった。
不幸なことにそこに起こってしまった今世紀最大の大震災プラス
原発の放射能問題の強烈な国難である。
最悪のタイミングです。
こんな時は自民党のある種の単純な権力構造の方が動きは早い。
民主党の試練というにはあまりにも大きすぎた。
復興に関しては他の政策合意を棚上げしてでも協力すべきである。
党の利益よりも復興が優先されるのは当たり前の話です。
中にいると単純なことも解らなくなるのだろう。
普段の思考回路から回線を変えるのが大変なのか、
戦後最大の危機です、本当の意味のリーダーシップが必要です。
候補に挙がる人たち誰をとってもぴんと来ない。
いっそ孫さんにでもお願いしたらどうだろうか。
決めるのも、辞めるのも早いものである。
国民は政権交代を夢見て、実現したがなんと・・
その政党の存続の目的が政権交代にあった。
ということはそれから先のビジョンは、ほぼ無かったのである。
すべてのマニュフェストは政権交代するための材料でしかなかった。
不幸なことにそこに起こってしまった今世紀最大の大震災プラス
原発の放射能問題の強烈な国難である。
最悪のタイミングです。
こんな時は自民党のある種の単純な権力構造の方が動きは早い。
民主党の試練というにはあまりにも大きすぎた。
復興に関しては他の政策合意を棚上げしてでも協力すべきである。
党の利益よりも復興が優先されるのは当たり前の話です。
中にいると単純なことも解らなくなるのだろう。
普段の思考回路から回線を変えるのが大変なのか、
戦後最大の危機です、本当の意味のリーダーシップが必要です。
候補に挙がる人たち誰をとってもぴんと来ない。
いっそ孫さんにでもお願いしたらどうだろうか。
2011年5月2日月曜日
駐車場のおじさん

日曜日の朝ときどき、藤崎のロイヤルホストにパンケーキ
を食べに行きます。
一人で行ったり、子供連れで行ったりと様々ですが
もう行きだして10年位になります。
ときどきがどれ位の頻度かは、意識してはいなかったので
良く覚えていませんが、何カ月ぶりだったり、月に1・2回
だったり本当にばらばらです。
そして駐車場にはいつも、一人のおじさんがいました。
おじさんはいつもとてもいい笑顔でみんなに挨拶をしていました。
雨の日も、風の日も、雪の降る日もいつも外の駐車場にいました。
お店を改装した際、駐車場もコイン式になりあのおじさんも
いなくなったのかと思ったら、いつもと同じように同じ笑顔で
そこにいました。
仕事の内容がすこし変わり、帰り際におじさんがコインを入れてくるようになりました。
子供がコインを入れたがれば、背の届かない子をちょっと抱えて入れやすいように
してくれていました。
決して余計な会話をすることもなく、いつも通りに挨拶をして一言二言話す
程度でした。
私にとっては、日常の当たり前の風景と、日常の平和な心地よい一コマでした。
それが、ここ2~3回はおじさんがいないことに気付きました。
最初はたまたまかなと思い気にしてなかったのですが
気になりだした時に、発見しました。
2階に上がるエレベーターの中と、コインを入れる精算機の横に
綺麗な字で濡れないようにコーティングをした一枚の手紙が貼ってありました。
以下
駐車場 警備員
〇〇〇〇〇〇
「新緑の香りが漂う時節となりました。皆様には益々
ご健勝の段大慶に存じます。
私事にて洵に恐縮でございますが本日は退職に伴いう
御礼の挨拶をさせて頂きたいと思います。
私は今度古希を迎えついに老兵と言われる年齢に達して
しまいました。
そこでこの際引退をし、故郷(兵庫県明石)にて余生を静かに
過ごすことに致しました。
在職11年の長きに亘り無事職務を全う出来ましたことは
偏に皆様のご高配の賜と衷心より感謝致すところでございます。
今・・そっと!・・目を閉じますと皆様お一人お一人の素敵な
笑顔や掛けて下さった暖かいお言葉の数々がまるで走馬灯
の如く次から次へと頭に浮かんで参ります。
私にとりましてはそれは懐かしく又素晴らしい思い出であり、
きっと先短い老後の慰めとなってくれることと思います。
本当に有難うございました。
最後になりましたが、皆様のご健康とご多幸を心からお祈り
申し上げお別れの挨拶とさせて頂きます。
又、いつか どこかで 逢えればいいですネ!!」
以上
身の上話をする間柄でもなく、もちろん辞めることなど、いや
おじさんの年齢すら気にしたこともいのに・・・。
いなくなるとわかっていればもう少しいろんな話が聞きたかった。
きっとたくさんのおじさんファンがいたのだろう。
それでお店も手紙を貼り出したのだと思う。
「駐車場の警備員のおじさん」
仕事とは何か、仕事を超えたものは、人としてどう生きるかを
深く考えさせられる出来事でした。
登録:
投稿 (Atom)